宮崎県議会議員 ふつはら正三

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ふつはら日記

祁答院柿

2013年11月21日

当地域に「祁答院」と言う名前の柿がある。
鹿児島県旧祁答院町の名前を冠した甘柿で、樹高10メートルにもなる大木である。

戦国時代、都城地方は島津家の支族北郷(ほんごう)家が守ってきた。しかし、文禄三年、豊臣秀吉の命により、北郷家は祁答院に移され、代わって大隅から伊集院家が都城に入り治めることになった。
伊集院家は島津宗家の筆頭家老の家柄であったものを、秀吉から都城8万石の朱印状を与えられ大名となったものである。(秀吉さんも罪なことをする)

その後、大阪で宗家忠恒が伊集院忠棟を誅伐したことから両家の争いが始まった。俗に言う庄内の乱(都城の乱)である。

一年に及ぶ争乱もやがて収まり、伊集院家は頴娃二万石に転封、都城には旧領主北郷家が帰ることになった。
この時、持ち帰ったのが「祁答院柿」らしい!(らしい、と言うのは子供の頃大人から聞いたからである)

しかし、その後惨劇が起きている。伊集院忠棟の子・忠真以下三兄弟が夫々野尻や谷山などで討たれ、忠真の母と祖母は自害、家臣たちも自害し、伊集院家は滅亡した。
両家の和睦が成って二年。徳川家の時代に入ってすぐのことである。

当地、梶山には当時の外城の一つがあり、今も武家門が数か所残る地域である。

今、家々の庭先や畑には祁答院柿の幼木が育っている。
5・6年前、当時の小牧館長さんが地域活性化策の一つとして、数本の老木から穂木を採取、県農業改良普及センターの力添えを頂き、接ぎ木を有償配布したものである。

サクサク感のある甘い柿だが、壮絶な歴史を思い出させてくれる柿でもある。

庄内の乱は、田代 義博先生の「都城の乱」(鉱脈社)に詳しい!!